トリニダード島で知られている最古の人類の痕跡は後氷期にさかのぼります。当時、島はまだ南米大陸と陸続きでした。南西部のバンワリ・トレース遺跡は、紀元前約5000年、すなわち約7000 BPに年代づけられ、ユネスコはカリブ海地域で知られる最古のコロンブス到来前の遺跡と認定しています。貝塚、漁労、狩猟、採集、石器・骨器が見つかっています。1969年に発見された埋葬遺体は当初「バンワリ・マン」と呼ばれ、後に「バンワリ・ウーマン」と特定されました。新たな分析で考古学的解釈が変わり得ることを示しています。南米から小アンティル諸島への人々の移動は、およそ紀元前5000~2000年に起きました。トバゴ島の証拠は別個で、断片的です。初期定住の痕跡は紀元前約3500~1000年、サラドイド文化の拡大は紀元前約250年、バランコイド文化の影響は紀元250年頃、アラウキノイドの証拠は650年頃、マヨイドの証拠は1300年頃です。これらの年代列は、単一で均質な文化が連続したことを証明するものではありません。 歴史資料では「先住諸民族」「ファースト・ネーションズ」「アメリンディアン」などの名称のほか、カリナゴ、ロコノ、ワラオ、チャグアネス、ネプヨ、ヤオ、カリナ/カリナゴ、カリネパゴト、シェバヨ、ガリフナなど、共同体や記録に由来する名称も使われます。これらは異なる民族、歴史上の分類、移住伝承を指すため、同じ意味として扱ってはいけません。トリニダード・トバゴ国立公文書館、国立図書館情報システム機構、UWI考古学センター、地域共同体の知識は、それぞれ異なる種類の証拠を提供します。 クリストファー・コロンブスは1498年に両島を視認しました。先住諸民族に対するスペインの襲撃は1511年に始まりました。アントニオ・デ・セデーニョへの1530年の土地付与や、1532年のクムクアラポでの衝突を経てスペイン人の入植が進みました。1592年に創設されたサン・ホセ・デ・オルーニャは、トリニダード島最初の恒久的なスペイン人入植地となりました。ウォルター・ローリーは1595年に到着しました。トリニダード島は、1797年にイギリス軍が占領するまでスペイン統治下にありました。1776年と1783年の人口移住勅令(Cedula de Población)は、フランス系カトリックの農園主などの入植を促しました。自由有色人、奴隷化されたアフリカ人、農園主が、砂糖、カカオ、コーヒー生産に形づくられた社会の一員となりました。 トバゴ島の植民地史は、支配者がより頻繁に入れ替わりました。オランダ人は1628年にニュー・ワルヘレンを創設し、クールラントは1642年に入植地を築きました。1659年にオランダ支配となり、1763年にイギリスが島を取得、1783~1793年はフランス領、1793年にイギリスが復帰、1802年に再びフランス領となり、1814年にイギリスが恒久支配を確立しました。トバゴ議会は1768年または1769年に始まりました。年代の違いは支配の変化を表しており、途切れない単一の植民地行政を示すものではありません。 イギリスは1807年に奴隷貿易への参加を終えましたが、奴隷制はその後も続きました。1816年、かつてイギリス軍に従軍した黒人兵士メリーキンがトリニダード南部に自由居住地を築きました。1834年の奴隷解放宣言後には徒弟制度が設けられ、奴隷制と徒弟制度はいずれも1838年に終わりました。解放アフリカ人は1841年から年季奉公の仕組みに置かれました。インド人年季奉公では1845~1917年に約147,500人が到着し、契約は通常5年間、最後の船は1917年に到着、制度は1920年に終了しました。ポルトガル、中国、シリア、レバノンなどからの移住も共同体を増やしました。多民族社会は、強制労働、契約労働、移住、土地所有、社会的権力をめぐる闘争を通して形成されました。 トバゴの政治的地位は、1888年の枢密院令により1889年1月1日発効の合併が成立し、1898年の枢密院令により1899年1月1日から行政区(ward)となったことで変化しました。歴史研究では、1889年発効の合併と、1898年に決定された恒久的な行政区化を区別します。砂糖産業の衰退と債務は、トバゴ独自の制度の喪失と、後の自治拡大要求につながりました。 石油の登場は経済史を大きく変えました。最初の掘削は1857年にピッチ湖付近で行われ、最初の成功した油井は1866年にアリペロで掘られました。商業生産は1908年に始まり、最初の原油輸出は1910年、ポイント・フォーティン製油所は1912年に開業しました。石油と天然ガスは20世紀の経済と脱植民地化後の国家を形づくりました。天然ガスは1959年に化学原料として使われ始めました。石油産業と並んで砂糖産業も続き、政府は1975年にカロニを引き継ぎ、2003年に閉鎖しました。労働史は、これらの産業を1937年の石油・砂糖争議や、より広い政治的・社会的変革要求と結びつけています。 政治参加は段階的に拡大しました。1880年代には任命制議会、1924年には選挙で選ばれる議員が導入され、最初の総選挙は1925年に実施されました。1941年に議会は選挙議員が過半数を占めるようになりました。普通成人選挙権は1945年に導入され、この制度による最初の選挙は1946年でした。第二次世界大戦中、米軍基地は1940年から運用され、最後の米軍は1945年に撤退しました。バトラー運動などの反植民地主義政党が1950年代の政治を形づくりました。エリック・ウィリアムズ率いる人民国家運動(PNM)は1956年に登場しました。トリニダード・トバゴは1958年に西インド連邦に加わり、ジャマイカが1961年に離脱した後、自国の独立を目指しました。 トリニダード・トバゴは1962年8月31日に独立しました。エリック・ウィリアムズが初代首相、ソロモン・ホコイが初代総督となりました。1976年に共和制となり、エリス・クラークが初代大統領に就任しました。トバゴ議会は1980年に設置され、限定的な自治を担いました。地域統合では1968年にカリフタが始まりました。ブラック・パワー運動と国家合同行動委員会は1970年の抗議行動と軍の反乱につながり、1972年まで非常事態が続きました。1990年、ジャマート・アル・ムスリミーンのメンバーが議会を占拠し、首相と閣僚を人質に取り、警察本部を襲撃しました。1990年代にはロビンソン、マニング、パンデイの間で政権が移りました。カムラ・ペルサド=ビセッサーは2010年、選挙で選ばれた初の女性首相となりました。ポーラ=メイ・ウィークスは2018年に初の女性大統領、クリスティン・カンガルーは2023年に2人目の女性大統領となりました。2025年4月28日の総選挙ではUNCが41議席中26、PNMが13、TPPが2議席を獲得し、投票率は53.93%でした。カムラ・ペルサド=ビセッサーは2025年5月1日に首相に就任しました。 同国の歴史研究では、公文書、宣言、新聞、奴隷登録簿、インド人年季奉公登録簿、考古学、口述史を組み合わせます。国立公文書館の閲覧室は予約制です。系譜研究では氏名、船舶名、年季奉公記録が役立ちます。NALISとUWI考古学センターはデジタル資料や研究資源を提供します。植民地期の記録は行政官や土地所有者の視点を残すことが多いため、研究者は考古学、地域の記憶、口述史と照合します。遺産資料・史跡にはレッド・ハウス、ネルソン島、キング・ジョージ要塞、バンワリ・トレース、砂糖公文書館、奴隷登録簿、インド人登録簿があります。トリニダード・トバゴ国立信託は400件を超える遺産資産の目録を管理しています。登録された考古学資料・歴史的物件は1991年国立信託法により保護され、国を含む所有者は、関連事業への評議会の関与を認めなければなりません。公衆協議が必要となる場合があります。閲覧、予約、費用、調査時間は施設や場所によって異なります。 公的記憶では、8月1日の奴隷解放記念日、1937年のバトラー石油地帯争議を記念する6月19日の労働者の日、8月31日の独立記念日、9月24日の共和国記念日が祝われます。記念行事は歴史研究の代わりにはなりません。奴隷制、解放、移住、労働、政治的独立、共和制が過去の公的解釈を今も形づくることを示しています。
歴史—トリニダード・トバゴ
トリニダード・トバゴの歴史は、最初の人類定住から現在まで、社会、制度、地域共同体がどのように形成されたかを証拠に基づいてたどるものです。先住諸民族、ヨーロッパの植民地化、奴隷制と解放、インド人年季奉公、移住、労働運動、石油・天然ガス、独立、共和制、トバゴの自治の変化を扱います。二つの島は結びつきながらも異なる歴史を歩んだため、年代や展開は個別に検討する必要があります。
ヒント
具体的な問い、島、時代を定め、その問いに直接答えられる資料を選びましょう。公文書を考古学、新聞、地域の記憶、口述史と比較してください。植民地期の資料は行政や土地所有者の視点を反映する場合があります。トリニダードとトバゴ、歴史上の日付、確実性の程度を明確に区別してください。

